大相撲界の歴史において、元大関・朝潮太郎(四代目)こと長岡末弘氏は、豪快な突き押しと愛嬌あふれるキャラクターで昭和から平成初期の土俵を沸かせた名力士でした。しかし、親方(七代高砂)として部屋を率いた後半生においては、平成の大横綱・朝青龍の度重なる暴走と管理責任問題、晩年のコロナ禍における重大なガイドライン違反による電撃退職など、激しい批判に晒され続けました。ネット検索では「朝潮親方 クズ」という苛烈なワードが定着し、現在に至るまでその是非が議論されています。
昭和の大学相撲界を制覇した学生横綱から大関へ昇進し、指導者としては朝青龍と朝乃山という二人の看板力士を育て上げながら、なぜこれほどまでに世間から厳しい指弾を受けることになったのか。当時の報道記録、日本相撲協会の懲戒処分データ、関係者の証言をもとに、激しいバッシングの裏にある真相と角界が抱える組織マネジメントの病理を多角的に検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「クズ」とまで批判された主因は、朝青龍の度重なる乱行を制止できなかった監督責任と、晩年に発覚したコロナ禍の会食ルール違反による引責辞任の2大不祥事にある。
- 要点2:愛弟子だった大関・朝乃山のキャバクラ通い処分とも重なり、部屋の最高責任者としてのガバナンス能力や危機管理の甘さが決定的な不信感を招いた。
- 要点3:一方で「憎めない好人物」「弟子想いの人柄」という一面もあり、伝統的な相撲部屋の疑似家族主義と近代組織ガバナンスの乖離が生んだ悲劇的指導者像が浮き彫りとなっている。
朝潮親方(高砂親方)が「クズ」と批判された背景|炎上を招いた3つの要因
ネットコミュニティや相撲ファンの間で「クズ」という過激な言葉が投げかけられた背景には、突発的な単一のトラブルではなく、長期にわたって積み重なった指導者としての無責任体質があります。報道資料や当時の世論調査を紐解くと、批判の核心は主に以下の3つの決定的な出来事に集約されます。
第1の要因は、元横綱・朝青龍に対する指導放棄とも取れる管理責任の破綻です。平成の角界を牽引した朝青龍は、規格外の強さを誇る一方で、土俵外でのトラブルが絶えませんでした。2007年の「仮病サッカー事件」や2010年の「知人男性への暴行事件」に至るまで、師匠である高砂親方は常に後手後手の対応に終始しました。記者会見で汗をぬぐいながら曖昧な弁明を繰り返す姿は、視聴者に「弟子の増長を野放しにし、自らの責任から逃げている」という強い悪印象を植え付けました。
第2の要因は、2021年に発覚した新型コロナウイルス対応ガイドラインへの重大な違反です。日本相撲協会は当時、厳格な感染拡大防止策を敷き、全協会員に対して不要不急の外出自粛を厳命していました。それにもかかわらず、錦島親方として再雇用されていた長岡氏は、本場所中に複数回にわたり知人女性らと外部で飲酒を伴う会食を重ねていた事実が週刊誌のスクープ取材で白日の下に晒されました。一般市民が自粛生活を強いられていた時期だけに、協会の長老格でありながら規律を平然と破った行動は、世間から猛烈な怒りを買いました。
第3の要因は、愛弟子・朝乃山の処分をめぐる監督責任の連鎖です。長岡氏自身の違反発覚とほぼ同時期に、次代の横綱候補として期待されていた大関・朝乃山もキャバクラへの通夜出入りなどガイドライン違反が発覚し、6場所出場停止という極めて重い処分を受けました。部屋を率いてきた元師匠自らが規範を破っていたことで、「師匠が手本を示さず遊んでいたから弟子も道を踏み外した」「朝乃山の力士生命を狂わせた元凶」という決定的な烙印を押されることになりました。
【経歴とデータ比較】四代朝潮太郎・長岡末弘氏の栄光と失墜の記録
高砂親方(長岡末弘氏)の足跡を客観的に評価するためには、現役時代の輝かしい実績と、親方就任以降に相撲協会から受けた処分歴のコントラストを把握しておく必要があります。近畿大学相撲部時代に学生横綱・アマチュア横綱に輝き、大相撲入門後も「大ちゃん」の愛称で国民的人気を博したスター力士でした。
| 項目 | 詳細・数値データ | 一般的な基準・相場 | 編集部の見解・評価 |
|---|---|---|---|
| 現役時代の実績 | 幕内最高優勝1回、三賞14回、大関在位36場所、通算564勝 | 大関昇進力士の上位15%に入る長寿大関記録 | 昭和の大横綱・北の湖にめっぽう強い「北の湖キラー」として土俵を牽引。競技者としての実績は文句なしの一流。 |
| 育成実績(弟子の最高位) | 横綱・朝青龍(25回優勝)、大関・朝乃山、関脇・朝赤龍 | 横綱1名・大関1名を育てた師匠は角界全体の数% | スカウト力と相撲技術の継承においては近代稀に見る卓越した手腕を発揮した。 |
| 朝青龍関連の懲戒処分 | 役員待遇から委員への降格、減給30%×3ヶ月(通算複数回) | 通常は弟子の不祥事でも戒告・厳重注意程度が一般的 | 弟子の度重なる暴走により、協会史上でも極めて異例な重い管理責任処分を課され続けた。 |
| コロナ違反による処分 | 懲戒処分審議前に退職届を提出(事実上の追放・即時辞任) | 一般職員であれば出勤停止または解雇相当の重大規定違反 | 組織のルールを最優先すべき元理事が私欲を優先させたことで、角界での功績を自ら灰燼に帰した。 |
このようにデータを対照させると、純粋なアスリート・技術指導者としての才能は突出していたにもかかわらず、組織の管理者・教育者としてのガバナンス基準を満たしていなかったという二面性がはっきりと浮かび上がってきます。
朝青龍の暴走と管理責任の限界|なぜ師匠として世間の怒りを買ったのか
朝潮親方が浴びた最大の試練は、モンゴル出身の異才・朝青龍明徳の台頭と崩壊でした。若松部屋時代に朝青龍をスカウトし、高砂部屋継承後に横綱へと押し上げた功績は計り知れません。しかし、朝青龍が前人未到の強さを手に入れるのと比例して、土俵外のトラブルはエスカレートしていきました。
2007年夏巡業を「左肘内側側副靭帯損傷などの重傷」を理由に休場しながら、母国モンゴルで中田英寿氏らとチャリティーサッカーに興じる姿が全世界に放映された騒動は、その最たる例です。相撲協会が前代未聞の本場所2場所出場停止・謹慎処分を下す中、高砂親方は朝青龍の精神的ケアやモンゴル現地での対応においてリーダーシップを発揮できず、マスコミに追われて右往左往する姿が生中継されました。
相撲記者クラブに所属していたベテラン記者の手記によると、当時の部屋関係者は次のように証言しています。 「親方は本質的に争い事を嫌う温厚な人でした。朝青龍の荒々しい気性を力で押さえつけることができず、横綱として大成した後は完全に弟子の顔色を窺う関係になっていた。注意しようにも本気で怒鳴りつけることができず、腫れ物に触るような扱いだった」
2010年1月場所中に泥酔した朝青龍が知人男性に暴行を働いた事件では、引退勧告のプレッシャーがかかる中で親方は有効な手立てを打てず、結果として電撃引退に追い込まれました。この際、日本相撲協会理事会から「師匠としての指導監督義務を著しく怠った」として厳罰を下され、世間からも「弟子の暴走を止められない操り人形」「名門高砂部屋の看板を泥に塗った」と激しく糾弾されることになったのです。
コロナ禍ガイドライン違反と突然の退職劇|愛弟子・朝乃山を巻き込んだ晩年の蹉跌
朝青龍問題から約10年後、65歳を迎えて部屋を元関脇・朝赤龍(八代高砂)に譲り、再雇用制度で錦島親方となった長岡氏を襲ったのが、2021年のガイドライン違反事件でした。
当時、日本相撲協会は新型コロナウイルス感染症のクラスター発生を防ぐため、全協会員を対象に外食の原則禁止や行動履歴の提出を徹底させていました。しかし、2021年5月場所中、週刊文春の取材班によって、長岡氏が都内の飲食店で知人らと複数回にわたり酒席を伴う会食を行っていた決定的な証拠(写真および目撃証言)が報じられました。
このスクープは角界に激震を走らせました。なぜなら、その直前には期待の大関・朝乃山がキャバクラ通いを報じられ、当初は虚偽の報告をして事態を悪化させた末に「出場停止6場所・報酬減額」という力士生命の危機に瀕する大処分を下されていたからです。弟子の虚偽申告と不始末で揺れる最中、元師匠であり指導的立場にある長老自らが同様のルール違反を平然と犯していたという事実は、擁護の余地を残しませんでした。
相撲協会のコンプライアンス委員会による調査と懲戒処分が不可避となる中、長岡氏は2021年6月11日付で日本相撲協会に退職届を提出し、受理されました。実質的な「引責辞任」「不名誉な追放」の形となり、40年以上身を置いた相撲界を裏口から去るような結末となったのです。
加えて、晩年には相撲界特有のタニマチ関係や資金繰りをめぐる借金の噂、さらには元関脇・貴闘力氏のYouTubeチャンネル等で取り上げられた「部屋関係者や専属運転手に対する高圧的な言動・恫喝疑惑」の音声流出などがネット上に拡散。温厚なイメージの裏側にあったとされる生々しいトラブルが露呈したことで、ネット上の「クズ」という評価に一層拍車がかかることとなりました。
【実態検証】「憎めない大ちゃん」と「無責任な親方」の狭間|関係者が語る素顔とネットの反応
苛烈なバッシングが吹き荒れる一方で、長岡末弘という人物を間近で知る関係者や長年の相撲ファンの間では、単なる悪人として切り捨てることのできない複雑な評価が存在します。
現役時代の朝潮太郎は、漫画家・いしいひさいち氏の『ワイはアサシオや』のモデルとなり、本人もそのギャグ漫画を愛読して笑い飛ばすほどの器量とユーモアを持っていました。ファンサービスを惜しまず、巡業先でも子供たちに気さくに声をかけるなど、土俵の外では誰からも愛される「角界の大ちゃん」でした。
ネット上のリアルな書き込みや知恵袋、SNSの反応を検証すると、評価は明確に二極化しています。
- 批判的な声:「朝青龍のときもヘラヘラしていて責任感ゼロだった」「朝乃山が一番大事な時期に自分も外で飲んでいたのは指導者として軽蔑する」「名門高砂を壊した戦犯」
- 再評価・同情の声:「朝青龍のようなモンスターをコントロールできる親方など当時の角界に誰一人いなかった」「気弱でお人好しすぎたゆえに悪役に仕立て上げられた」「人を憎めない性格で、裏表のない純粋な相撲人だった」
元弟子の一人は退職後の取材で、「親方は怒ると迫力がありましたが、根は本当に弟子思いで、飯を腹一杯食わせることだけを考えていた。ただ、現代的な組織管理やメディア対策、コンプライアンスという言葉とは最も遠い昭和の相撲人だった」と述懐しています。好人物でありながらも、時代の要請に応えられない脆弱な管理能力が、彼を悲劇的な指導者へと追い詰めたと言えます。
【プロの結論】角界の「疑似家族制度」がもたらしたマネジメントの機能不全
組織心理学およびスポーツマネジメントの視点から長岡氏の指導者人生を解剖すると、相撲部屋特有の「疑似家族制度」と「心理的バウンダリー(境界線)の欠如」が招いた必然の結末であることが分かります。
相撲部屋は、親方が「父親」、おかみさんが「母親」、力士たちが「兄弟」として24時間起居を共にする濃密な共同体です。この伝統的システムは、強固な結束力と技術伝承を生む一方で、ひとたび規律が緩むと「相互依存(共依存)」へと容易に転落します。親方は弟子を厳しく叱責することで関係が壊れることを恐れ、弟子は親方の甘さに甘えて自己規律を失っていきます。
朝潮親方と朝青龍の関係は、まさにこの共依存の典型でした。莫大な懸賞金と名声をもたらす超一流の弟子に対して、師匠が健全な心理的境界線を引いて「組織の統制者」として君臨することができず、家庭内の放任主義的な父親のポジションに逃げ込んでしまったのです。コンプライアンス重視の近代スポーツ組織へと舵を切る相撲界において、長岡氏の「昭和流の情と甘えのマネジメント」はもはや通用しない構造的遺物となっていました。組織のリーダーにとって「人柄の良さ」と「ガバナンス能力」は全くの別物であるという冷徹な教訓を、彼の歩みは示しています。
一般に知られていない盲点とネットの誤解
「朝潮親方 クズ」という強烈な言説が独り歩きする中で、事実と異なる誤解や都市伝説もいくつか定着しています。客観的ジャーナリズムの観点から、代表的な3つの盲点を正しく整理します。
第1に、「朝潮親方は弟子の育成を放棄していた」という誤解です。朝青龍の素行不良ばかりがクローズアップされますが、異国の地から来た無名の若者の才能を見抜き、横綱へと登りつめる基礎を叩き込んだのは間違いなく高砂部屋の稽古場でした。また、朝乃山を近畿大学からスカウトし、右四つの正統派大関に育て上げた育成眼は角界屈指でした。指導技術そのものを否定するのは明らかな誤りです。
第2に、「悪質な借金を抱えて夜逃げ同然に辞めた」という噂の真偽です。部屋の運営費やタニマチとの交際費をめぐる金銭トラブルの噂は週刊誌等で取り沙汰されましたが、法的な破産や横領事件に発展した事実はありません。退職の直接の理由はあくまで新型コロナガイドライン違反に対する協会の事情聴取と処分勧告であり、金銭不祥事による追放ではありません。
第3に、「晩年まで相撲界の利権にしがみついていた」という言説です。退職届の提出は迅速であり、相撲協会の正式な理事会決定を待たずに自ら身を引いています。自身の非を認めた上での幕引きであり、晩節を汚したとはいえ、最低限の引き際は弁えていたという見方が協会関係者内でもなされています。
なお、長岡末弘氏は相撲協会を退職後、表舞台から完全に姿を消しました。その後、2023年11月2日、小腸がんのため都内の病院で67歳で死去されました。激動の土俵人生に幕を下ろした際、葬儀にはかつての愛弟子たちや多くの角界関係者が参列し、晩年の確執を超えてその旅立ちを見送っています。
【朝潮親方(高砂親方)の真相】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:朝潮親方は現在どうされていますか?すでに死去されているのですか?
A1:元大関・朝潮太郎こと長岡末弘氏は、2021年6月に日本相撲協会を退職後、病気療養を続けていましたが、2023年11月2日に小腸がんのため67歳で死去されました。現役時代の大相撲ブームを支えたスターの早すぎる死に、多くの相撲ファンが哀悼の意を表しました。
Q2:なぜ朝青龍を厳しく注意・破門できなかったのでしょうか?
A2:高砂部屋と若松部屋の合併という複雑な力学に加え、長岡氏本人の温厚で争いを避ける気質、そして朝青龍が角界唯一無二の圧倒的な大横綱として君臨していた経済的・実績的力関係が影響していました。近代的なマネジメントではなく情に頼った師弟関係であったため、弟子の暴走を力強く制止することが構造的に不可能でした。
Q3:朝乃山のキャバクラ騒動と朝潮親方の関係はどうだったのですか?
A3:直接同席していたわけではありませんが、時期を同じくして朝潮親方(当時・錦島親方)自身も外部で会食を行っていたことが発覚しました。部屋の元師匠であり指導的立場にある長老自らが協会のコロナ対策規律を無視していた事実が、朝乃山の処分をより重くし、世間の強い不信感を招く最大の要因となりました。
まとめ:波乱に満ちた土俵人生から見る角界ガバナンスの課題
四代目朝潮太郎・長岡末弘氏の生涯は、昭和の土俵を彩った輝かしい栄光と、平成・令和の変革期における指導者としての挫折が極端に交錯したものでした。世間が投げかけた「クズ」という苛烈な言葉は、ひとりの男の倫理的破綻のみを指すのではなく、旧態依然とした相撲界の「甘えの構造」と、危機管理能力の欠如に対する社会の強烈な拒絶反応であったと言えます。
しかし、朝青龍という怪物を育て上げ、朝乃山を大関に押し上げた相撲人としての情熱と功績までを全否定することはできません。愛すべき昭和の好漢が、近代のコンプライアンス社会の波に飲み込まれて散っていった足跡は、スポーツ界のみならず、現代のあらゆる組織が直面するマネジメントとガバナンスの難しさを浮き彫りにする貴重な歴史の証言となっています。 (出典: 朝 潮 親方 クズ(Yahoo!ニュース))